原罪   
原罪



-そこには闇のような空間があった。

果てもなければ時間も流れない、重く澱んだ気だけが満ちている。
闇の支配するこの空間には光の眷属の力は及ばず、静寂と沈黙だけがこの場を支配していた。
だが冷たくも暖かくもないこの空気が不思議と心地よいのは何故だろう?

その空間の中でぼんやりとテッドは座り込んでいた。
折り曲げた膝を両腕で抱え、そっと目を閉じもう一度気配を探ってみる。

(やっぱり誰もいないか…)

しばらく前から、どんなに感覚を研ぎすましても他の魂達の気配は伝わって
来なくなった。
悲しみに啜り泣く声も、恐怖におののく叫び声も。
あのオデッサという女性の魂の気配もいつの間にかなくなっていた。
後から呑まれたテオの気配も見つからない。蘇ったグレミオ一人を除く総て
の魂がこの紋章に吸収され、無に還る代わりに主に力を与えたのだ。

(…吸収されずに残ったのは俺だけなのか)


気が付いたらここにいた。
シークの谷で紋章に魂を捧げてから、どのくらいの時間が経ったのかは
分からない。だがその間に聞こえていた魂達の喧噪も確実に減っていった。
今、静まり返ったこの暗い空間に妙に暖かみを感じるのは、吸われていった
魂達の残した温もりなのか、それとも。

いずれにしろ、ここが自分の墓場になるのだ。

「しかし、やっと見付けた安息の場所が、己を苦しめ続けた紋章の中とはね」

自分の命と引き換えにして守った親友と紋章の力。
結果、親友は不老の身体と、大いなる『生と死を司る紋章』の力を手に
入れた。手に入れたものがそれだけでない事を、一番分かっているのは勿論
前の主人だった自分だ。

だから。

届かないと分かっていても、心の中で詫びずにはいられなかった。

「本当にごめんな。全部お前に押し付けちまって。
 受け入れると言ってくれたお前の優しい心に、俺はつけ込んだんだ。
 そして永年呪縛されていた鎖から放たれたんだよ。」
 
…それでも、それでもな。

「許してくれるか?
 俺は今不思議と満足してる。
 お前に出会えた事に。
 お前と、暖かい心を持った皆と一緒に過ごした共通の時間を持てた事を。
 お前に会えたからこそ、放浪し続けた300年の年月も意味があったん
 だと思う。---こんな事言ったら、お前はまた勝手だって怒るのかも
 しれないけどな。」

だけど、あの今にも泣き出しそうな顔の彼から怒鳴られる事は、もうない。
生と死を司る紋章と、その紋章内で幸福な気持ちのまま真の死を迎えようと
している自分と。
なかなか似合いの取り合わせに思えた。


多分俺はこのまま眠り続けて、そのうち他の魂達と同じ運命を辿る。
それにはなんの不安もない。もっとも不安を感じたってどうしようもないんだから。
ただ気掛かりなのはあいつの事だけ。


「大丈夫かな………あいつなら…きっと…大丈夫だよな」

強くて逞しくて美しい魂を持つあいつなら。


「…それはどうかな」
「……?!」


音もなく目前の空間から発した気配がゆるゆると人陰を形作ってゆく。
それは目を見張るテッドの前で徐々に輪郭をはっきりさせてゆき、やがて
大柄な姿がそこに現れた。

「……テオ…様…」


そこにあったのは紛れもなく、在りし日のテオ・マクドール本人の姿。
もうてっきり吸収されてしまったのだとばかり思っていたのに。

「テオ様!…!」
「久しぶりだな、テッド君。…というのも変かな?」
「あ…」

そう言えば、あの忌わしい騒ぎが起こる前、テオが北方に出かけた時の夕食会
以来会っていなかった。それなのに再会を果たしたのがこんな所でとは。
そして、こんな所で顔を会わせる事になったのも、この紋章と自分のせい
なのだ。


「…テオ様、本当にごめんなさい。俺は皆に、貴方に酷い事を…。
 あいつも貴方の大事な人も、国も。ばかりか貴方の魂さえもこいつが
 喰ってしまった。貴方に拾ってもらえたから、声を掛けてもらえたから、
 あいつにも出会えたし、暖かい時間を過ごす事が出来たのに。
 勿論謝って済むような事じゃないけど、でも、俺は」


一気に続けて顔を上げると、それまで黙って聞いていたテオが動いた。

「…もう良い」
「!」

頭に置かれた暖かいぬくもり。大きくて無骨だが、優しいテオのぬくもり。

「そんな事も…ありましたか」

表情を和らげたテオが、何かを思い出したようにふっと微笑んだ。

「あの時もそんな顔をしていたな。グレッグミンスターの外れの森で君を
 見付けた時も、ぼろぼろの服を着て、私に対して身構えながらもそんな顔を
 していた。」
「……テオ様……」
「300年生きていようがいまいが、私には関係ない。私には、助けを
 求めているのに、背を向けて泣いている子供にしか見えないんだがな」
「どうして…、俺にそんな言葉を掛けてくれるんですか。皆、俺のせい
 なのに。テオ様だって、俺を拾わなければ今頃幸せだったかも知れない
 のに…」
「…君はさっき満足だと言っていた。自分の人生が素晴らしいものであった
 と。私もそうだ、立派に成長を遂げた息子を見届けて、軍人としての
 職務を全うしたのだから。だから、後悔はしていないし、君を恨んだり
 もしていない」
「…………」
「だから、私に詫びる必要はない」
「………」
「息子の方は…少し恨んでるかも知れないな」
「…そうでしょうね」
「これを」

テオの指さす先の空間がふいに丸く開かれて、何かが写った。
森の木立の中、泉の側に片膝を付いた黒髪の小柄な人陰。

「…エン」
「そうだ」

忘れもしないあいつの後ろ姿。
近くに誰の姿も見当たらないので、どうやら一人なのだろう。
…だが、何かおかしい。エンは右手を地に付け脂汗を流している。これは…。

「…戦っているんだ。…紋章と」

歯を食いしばり、持てる精神力を総動員して、暴走しようとする忌わしい
紋章の力と戦い続けている。紋章を繋ぎ止める強い精神力が無ければ、
暴走したあいつが何を始めるかは明白だ。主の身体は紋章に喰われ、魂を
求めて厄災を振りまく事になる。

「まだ…しばらくかかるんだ、紋章に真の主人と認めさせるまでには…。」

自分はどのくらい掛かったのか。膨大な記憶に思いを馳せているうちに、
ふいにエンの身体から力が抜けた。
どうやら、紋章を押さえ込むのには成功したらしい。

「………ッはぁ…」

「エン…。」
「……。」

映像の中でふと、息遣いも荒いエンがある木に目を止めた。
視線が止まった先には、緑豊かで登りやすそうな枝振りの1本の老木。

(あんな木に登ってよく遊んだよな。勉強の時間をさぼって森の中を
 歩き回って)

テッドが思いを過去に飛ばしていた時だった。

「…テッド」
「!!」

まるで、今ここにいる自分を呼んだかのようなタイミングのつぶやきに、
一瞬心臓が跳ね上がったが、親友の表情が妙に気になって心を落ち
着けた。
エンは別に弱音を吐いて泣いている訳ではない。むしろ、さっきから
表情一つ変えていない。
涙を流している訳でもないのに、その表情は何だ。
まるで虚無に見入られたかのように、何も聞こえず何も見えていない
かのようなその表情。まさか父と親友に見られていると気付かぬまま
エンは暫くその場に立ち尽くしていたが、やがて大きなため息を一つ
落とし、力ない足取りで森の奥へと消えていった。

「見ただろう」
「……」
「あれはあんな表情をする子供ではなかった。」
「勿論俺だって知ってます…あれがエンなんて…」

まるで別の人間のようだった。身体はエンなのに、心のない人形のよう。
胸が苦しくなる。自分の心臓がきりもむような辛さだった。あんな状態の
彼をここから見ているだけで何も出来ない。

「どうにか…出来ないのか」
「出来る。確証はないが多分。」
「それは?」
「君が、側にいてやる事だ。あれが恨んでいるのは、君があれを一人置いて、
 こちらへ来てしまった事だよ」
「!!」

「君は今、永年待ち望んだ自由を手に入れたのかも知れないが、あれは逆に
 永年待ち望んで手に入れたものを失ってしまったんだ。そして諦め切れ
 ないでいる」
「何を言って…」
「不可能な事では無いと思う。グレミオの例だってある。ただ、色々と
 手段や条件は必要になってくるかも知れないが。…君は、身体ごとここに
 吸い込まれた。他のものと違って、今ここに消滅せず存在している事が
 何よりの証拠だよ。それに」

咽を鳴らしてテオが笑う。

「そう遠くない内に迎えが来そうだな。
 …どうやら、かなり思い詰めているようだし、行動を開始するのも時間の
 問題だろう。…意外と我慢が効かないからな、あれは」

「テオ様だって存在してるじゃないですか、ちゃんと、ここに。」
「…私は君に、最後のお願いをしに来たんだよ。」
「最後?!」

慌てて視線を向けたテオの足元は、霞みが掛かったように消えかけていた。

「迎えって、戻れるんだったらテオ様の方が!」
「さきほども言ったが…私は満足している。それに、新しい時代に私のような
 古い時代の象徴は必要無いだろう。
 …それに、正直を言わせてもらうと、少々疲れた。休む事にするよ」

テオの姿が光が消えるようにゆっくりと淡くなってゆく。

「でもソニアさんだって!」
「彼女もそんなに弱い女性ではないのでね。寂しがりのうちの長男とは比べ
 物にならん。…頼んだぞ、テッド君。」
「待っ、待って下さい、テオ様!!」
「戻って、あれを救ってやってくれ」

無駄と知りつつテオの腕を引こうとしたテッドの右手は当然のように空しく
宙を切り、最後の言葉とともにテオの光は完全に消えた。

そして、後には放心状態のテッド一人が残るだけ。

「…言いたい事だけ言って、自分は行くんですね」

どさり、と地面に身体を投げ出して今言われた事について考えてみる。なんて
言ってた?ああ、もう。戻れだって?テオ様ともあろう人が馬鹿げた事を…。

「そんな最後のお願いされても…俺にはどうしたら良いのかさっぱり
 分かりませんよ…。」

(戻っても良いのか?誰か教えてくれ、テオ様、俺はどうしたら良いんだ、
 エン…?)

答える者のいなくなった空間は、段々と小さくなり。

そしてまた、紋章の支配する空間へと戻っていった。
悩むテッドの呻きとともに。


2001.01.23
ライン
テオパパ、テッドをそそのかすの巻(笑)ソウルイーターの力の持つ意味を考えたらこんなのもアリかなって。ダメですか?^^;坊が情けなくもうじゅうじゅ言ってるのは、間違いなく私が乗り移ってるからです。ごめんよ、坊。…しかし無駄に長くなったなあ…。どうも気合いを入れて書こうとすると、文章が堅くなるみたい…要修行。

 

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